後白河は天皇・神器の返還を平氏とは
後白河は天皇・神器の返還を平氏に求めたが、交渉は不調に終わった(『玉葉』8月12日条)。やむを得ず、都に残っている高倉上皇の二人の皇子、三之宮(後の惟明親王)か四之宮(後の後鳥羽天皇)のいずれかを擁立することに決める。ところがこの際に義仲は今度の大功は自らが推戴してきた北陸宮の力であり、また平氏の悪政がなければ以仁王が即位していたはずなので以仁王の系統こそが正統な皇統として、北陸宮を即位させるよう比叡山の俊堯僧正を介して朝廷に執拗に申し立てた。しかし天皇の皇子が二人もいるのに、それを無視して王の子にすぎない北陸宮を即位させるなど、皇統の永続性を大切にする朝廷が受け入れるはずもなかった。兼実が「王者の沙汰に至りては、人臣の最にあらず」(『玉葉』8月14日条)と言うように、一介の武士が皇位継承問題に介入してくること自体、後白河にすれば不快に感じたと思われる。朝廷では義仲を制するため御占が数度行なわれた結果、8月20日に四之宮(後鳥羽天皇)が践祚した。
update:2009年08月24日
